親父の最期

2011.03.01.07:07

一ヶ月ほどお休みしてしまいました。このブログを書き始めてこんなに長く更新しなかったことはないです。


実は父が亡くなったのです。

父とは9歳の時に生き別れになりましたので、私にとっては9歳の時に死んだようなものですが、本当のお別れとなってしまいました。


12月に父が癌だとの知らせを受けましたが、内心まだ大丈夫という思いがありました。でも、1月になって、ヘルパーさんより父がだいぶ衰弱しているとの知らせを受けて、翌日、すぐに東京に飛びました。父は寝返りも、うてなくなり、食べることもできなくなって、がりがりに痩せてしまって、なんとも哀れな状態になり、涙がこぼれました。


2月に入り、福祉事務所より、父がもう今日明日の命との知らせがあり、再び東京に飛び立ちました。父が酸素吸入されているイメージがあったのですが、意外にもそれもなく、私の顔を見るとちょっと元気が出たようでした。「お金は大丈夫なの?泊まるところは?」と言って、気遣ってくれました。

ちょうどその日は息子の弁当の日だったので、朝5時起きして、お弁当を作ってから東京に来たのです。そんな話をすると父は何か食べたくなったようでした。でも、もうご飯も何も食べることができないのです。声もあまりでなくて、とても弱弱しくなっていました。

でも、私は外でパンを食べたけど、甘過ぎて美味しくなかったなんて話をすると、父の自宅の近くにパンをかついで売りにくるから、6枚切りの食パンを買いに行って欲しいなどと、話していました。看護婦さん達も「よくお話できましたね」とニコニコしていました。

本当に2日だけでしたが、父は少し元気を取り戻して、少しばかりでしたが、話ができたのです。

その翌日からがくんと弱ってしまい、一週間後に息を引き取りました。


父の臨終を目の当たりにして思ったのは、やっぱり家族って大事だなぁということですね。父のように家族を捨てて家を飛び出してしまい、年をとってしまうと誰も見舞いにも来ない、本当に一人ぼっちですもの。自ら播いた種を刈り取っているとはいえ、なんとも虚しく悲しくてやりきれない思いでした。

父の死後一週間後に火葬することになり、また東京に向かい、火葬場でお世話になったヘルパーさんにお会いしました。火葬に1時間ほどかかるので、待っている間、話をしましたが、ヘルパーさんは、父のことを「変わっている」言っていました。父は普通の親父タイプの人ではなくて、ちょっと気障ったらしいタイプの人でつかみどころがなく、とにかくよくわからない人でした。いつも物すごく丁寧な言葉でヘルパーさんに声をかけていたようです。トーストにもちょっとしたこだわりがあって、トッピングをこうして欲しいとかいろいろと注文がついたようです。火葬の悲しい場面でしたが、ヘルパーさんと笑いながら話ができたのは、私にとってささやかな、穏やかな時間となりました。


その後、父の部屋を整理するため、中を覗いてみると、父の仕事の簡単な記録や、やっぱりそうだったか・・・、と思える書類も出てきました。父の仕事に関しては少しは知りたいと興味があったので、何月何日にどこに市に行ったとか、そんな記録を見つけて、ちょっと嬉しい気持ちでした。

また、父の若いころの写真もありました。父の父、つまり私の祖父であろう人の若いころの写真もありましたが、ジャニーズかと思うほどのイケ面でしたので、これはびっくりしました。私の母も女優顔で、母の父も俳優顔していますが、美形はなかなか遺伝しないものですね・・・(笑)母の兄弟は皆、父親に似ていましたが、そんなにイケ面という感じじゃなかったですね。祖父は俳優の佐分利信に似ていたので、似ているのが自慢でしたが、私は庶民派の祖母に似ていて、残念でした・・・。母は南田洋子さんに似ていましたが、私は似てなくて、残念でした。ま、似ていたら、追っかけまわされて大変だったろうなぁと思います。

父は演歌歌手の事務所で働いていたので、演歌が好きなのかと思ったのですが、ところがどっこい演歌は嫌いだったようです。本当に好きだったのは、ジャズなんです。ジャズは生演奏が一番でしたので、私はというとジャズのことは全然知らないのです。おそらく父も母もジャズが一番のお気に入りであったと言う点で一致していたに違いありません。

こうして父が亡くなり、いろんなことを考えました。もう少し早く会っていれば良かったのかしらとか。でも、これで十分だという思いなのです。家族に迷惑をかける人でしたので、早く会っていれば、嬉しいという気持ちよりも迷惑なほうが大きかったんじゃないかと思うのです。父も入院の前にヘルパーさんになかなか私のことを話しませんでした。迷惑をかけるからという理由で。でも、やっとヘルパーさんに話してくれたので、私に連絡が来たのです。

でも、他人のようだけれど、一応、その昔うちにいた父でしたので、最期のところ、父を看取れて良かったと思っています。もちろん、もし自分が生まれる親を自分で選べるのなら、もっと真面目できちんとした親を選びたかったと思います。でも、こればっかりは自分で選べなかったんですよね。神様の思し召しというより仕方がないと思うのです。

父への哀悼歌です。

まずは越路吹雪さんの「サン・トワ・マミー」。このタイトルの意味は「君がいなくては」です。
男女の恋の歌ですが、「さよならと顔も見ないで 去っていった 男の心 楽しい夢のような あの頃を思い出せば サン・トワ・マミー 悲しくて 眼の前が暗くなる サン・トワ・マミー」の部分ですかね・・・。父はサヨナラも言わずにお気に入りの写真だけをとって家を出たんです。お気に入りの写真は父が私をだっこしている写真です。それと家族全員で写っている写真が私の家にはなかったのですが、父のアルバムの中に1枚だけありました。

次にアン・ルイスさんの「グッバイマイラブ」。これも恋愛もので、当てはまりませんが(笑)、「いつかは逢える これが本当のさよならじゃないの 忘れないわ あなたの声 優しい仕草 手のぬくもり そうよあなたの名前」。娘からのメッセージとしていかがなものかとは思うけれど・・・。

次にジャズの定番ナンバーで「A列車で行こう」です。ジャズのコンサートのチケットだけはとってあったので、これでいいでしょう。父の記録の中で日付ばかりのなかで美空ひばりさん出演だけは特に記載されていたので、やはり大物だったんですね。父は舞台の袖で生の歌を聴いたんですよね。ひばりさんの17歳の時の歌声です。天才としか言えない歌いっぷりです。

次にジョン・デンバーです。ジョンが歌った家族への歌ではアニーさんへ捧げた「緑の風のアニー」や尊敬する叔父さん、ディーンへ捧げた「マシュー」なんかがあります。特にぴったりくる歌が見当たらないのですが、哀悼歌としてこれがふさわしいでしょう。「心は翼」を捧げたいと思います。

そして、父へのメッセージです。

「パパ、いろいろとありがとう。ささやかな再会の時間。本当にあ・り・が・と・う」


http://www.youtube.com/watch?v=2qvxK_3mu_s
サン・トワ・マミー 越路吹雪



http://www.youtube.com/watch?v=IgzBCzIYnOw&feature=related
グッバイマイラブ ~ アンルイス


http://www.youtube.com/watch?v=Hylyk5hJr8s
A列車で行こう Take the 'A' Train/美空ひばり


http://www.youtube.com/watch?v=xkaC34k5_6Q
John Denver The Wings That Fly Us Home



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2011.03.01.10:14

マーヤさん、お疲れさまでした。大変でしたね。
マーヤさんの記事を読みながら、自分のこともいろいろ思いを巡らせてしまいました。

人の価値と言うのは、不思議と客観的な判断ができないものです。
ただ、当事者の場合、血のつながりがある種、特別な何かを互いに感じ取ることができるのでしょう。
それが熱いものであればより熱く、
酷いものであればより酷く、
辛いものであればより辛く、
色んな意味で、経験・体験はきっとご自身の正の財産の一部を構成してると思います。
あまりうまく説明できなくてごめんなさい。
マーヤさん、これからもがんばってくださいね。

先ずは心より、ご冥福を。

おかえりなさい、そしてご苦労様

2011.03.01.12:53

人それぞれに人生あり。
平々凡々と暮らしてると回りが思っていても、その人にとっては波乱万丈の人生であり、幸福な人生であったかもしれません。事の良し悪しは最後の最後に神様が決めるのでしょう。
私達はその時Betterだと思う行動を取るしか無いのです。
お父様も、マーヤさんも、そして他の方々もそのような行動を取ってきたのだと思います。
お父様の考えも、マーヤさんの行動もその時はBetterだったのです。
これからもBetterな人生を送れますように。

2011.03.01.13:08

マーヤさんのお父様のご冥福を心よりお祈り致します。
大変でしたね。でも私はこの記事を読みながら涙があふれて仕方がありませんでした。ちょうど私も父と母の面倒をみているので、心に迫る、強い内容の文章でした。
いつかはお別れしなければならないのはわかっているのですが、最もつらいお別れですね。また、私は独り者なので、そんなこともマーヤさんの文章から考えさせられた理由です。
最後の2枚の写真。私の幼少のころに通じるものがありました。また、映画「フィラデルフィア」の最後の場面も思い出しました。
マーヤさん、ゆっくりお休みくださいね。ご苦労様でした。

2011.03.01.19:55

大変でした。
見送ることができて、良かったと思います。

2011.03.01.22:42

マーヤさん、
お疲れ様でした。大変でしたでしょう。お父様のご逝去、心より哀悼の意を表します。
12月にガンであることが分かって、それから2ヶ月、話をする気力は残っていたけれども、それから一気に弱っていってしまったんですね・・・。
最後の2枚の写真、私も4歳の時に祖父が亡くなっているのですが、家からちょっと歩いたところにある保育園の桜を見に、祖父が、幼い私を自転車で連れて行ってくれた時の写真があるのを思い出しました。でも9年前に亡くなった祖母との思い出の方が多いですね、一緒にいる時間が長かったためか。

本当にお疲れ様でした。

2011.03.02.09:28


お父様のご逝去、心よりお悔やみ申し上げます。

わたくしは24年前に父を、一昨年兄を、昨年母を亡くしました。肉親を”看取る”というエネルギーは相当のものですね。マーヤさんのお疲れお察し致します。一日も早く心身ともに癒されますように心からお祈り申し上げます。

お父様の御冥福をお祈りいたします。

2011.03.02.23:45

マーヤさん
本当に、お疲れさまでした。

マーヤさんの選んだ曲、私も、お父様の最期を思ってゆっくり聴かせていただきました。

辛い思いをさせてしまったマーヤさんが、最後に見送ってくれた事に感謝して…
お父様は、幸せな気持ちで天国に旅立たれたと思いました。

マーヤさんの、類まれな音楽のセンスや、人に伝える力は、
もしかしたら、お父様からいただいたものかも知れませんね。



ありがとうございます☆

2011.03.03.06:47

のんき様、

>人の価値と言うのは、不思議と客観的な判断ができないものです。

確かにそうかもしれないですね。本当のところというのは、人間的な判断ではできないのかもしれないです。

父のことは、とにかくよくわからなかったです。・・・・でも、弱くなってしまった父と少しばかりの会話の時間を何回持って、十分ではないものの、ホッとする思いもありました。自分の家庭の中にホッとする空間が欲しかったんでしょうね。自分なりに健気な子供時代を送ったものだと思うんですよ・・・。

これで一つのけりがついたんだと思います。長い時間を越えての再開に感謝ですねv-22

たーやん様、

>事の良し悪しは最後の最後に神様が決めるのでしょう。

そうですね。最終的には神様が決めるんだと思います。

父にはどこかで軌道修正してもらいたかったんですけれども。父にもそれができないところまで行ってしまったのかもしれません。・・・でもこうやって長生きしたこと自体が神様からの憐み深い贈り物だったんでしょうね。

George様、

Georgeさんもいろいろと苦労されているのですね。やはり似たような経験をしていると、その状況というものが良くわかりますよね。

私もこの記事を書いているうちに涙があふれてきました。そして、皆さんのコメントを読んで、やっぱり涙があふれてきてしまいました・・・・。

最後の写真ですが、家族そろっての旅行はこんな小さい頃しかしていないのです。自分の記憶に残る頃に一度は家族旅行に行きたかったなぁと・・・・。

ohk様、

見送ることができて、良かった・・・、本当にそう思います。

saya様、

はい、父が癌だと聞いてから、こんなに早く弱ってしまうなんて、思いもよりませんでした。長いこと寝たきりの生活をしていたので、抵抗力がなかったのでしょうね。

私も祖父が4歳の頃に亡くなっています。やはり癌で手に点滴をうっていたのが痛そうだった思い出があり、父が祖父のように見えました。

でも、こうして最期に会話できて良かったと思っています。

nana様、

nanaさんもごく最近にご家族を亡くされて大変でしたね。私もいったいどうなるものかと思っていました。

親族も友人もいない火葬場も寂しいものだと思いました。でも、こうして自分が父のもとにかけつけて、ヘルパーさんと思い出を語りあえて、寂しさを埋めることができたんじゃないかと思うんですよね。

kutakuta様、

歌のほうも聴いてくださったんですね。父から連想する歌は歌謡曲が多いですね。最近の歌を全然知らないせいか、子供時代の覚えた歌は結構エグイ内容のものが多かったと今さら感心しています。

父は末期癌でしたが、癌による痛みはなかったようです。身体の衰弱による苦しみや足の腫れなどありましたが、安らかな最期を迎えられたのは、何よりでしした。

>マーヤさんの、類まれな音楽のセンスや、人に伝える力は、 もしかしたら、お父様からいただいたものかも知れませんね。

見に余るお褒めの言葉に驚いてしまいます。いえいえ、とんでもございません・・・。一体どうなんでしょうか?父にどんなセンスがあったのか、少しでもいいから知りたったですね・・・。

父の心のうちを覗くことはできなかったけれども、これで良かったんだと思います。そういう風に考えてこれからの人生を歩んでいきたいですねv-485







Thank you for sharing...

2011.03.03.14:01

自分の最期はどうなのだろう・・・また私の親も高齢なので色々と考えさせられました。おとうさまとの歴史、思い出をたんたんと語られるマーヤさん、とてもしっかりされていて立派だと思いました。私は精神的に弱いので自分がマーヤさんと同じ立場になった時どうなるのか・・・想像出来ません。死は確実にやってくるし本当は考えたくないことだけれど、人間として生きている限り経験しなければいけなないことですね。(涙)最期の写真胸にしみました。おとうさまと過ごされた時間は限られていたようですが温かさが伝わる素敵なお写真だと思いました。
おとうさまのご冥福をお祈りいたします。

お父様の御冥福をお祈りいたします

2011.03.03.21:00

ご苦労様でした・・・

お父様も、最後に自分の娘に看取ってもらい幸せだったと思います。

マーヤさんも、後で、人づてで聞かせれるより、辛い日々だったかもしれませんが、よかったのでは・・・

御冥福をお祈りいたします

お父様の御冥福、お祈り致します。

2011.03.04.20:52

大変でしたね。お疲れ様です。

マーヤさんのブログが更新されないので何かあったのだろうと心配してました。

9歳の時に生き別れとなったものの、最後ほんの少しでも話が出来てよかったですね。
お父さんは、きっともの凄く喜んでいると思いますよ。

ショックでしょうが、また毎日、1ミリずつでもいいので少しづつ立ち直って、いつもの<ジョン・デンバー>の記事を期待しています。

応援してます! 
頑張りんさいや!。(広島弁?)

2011.03.04.23:07

お疲れさまでした。
少しでも会話でき最後看取ること出来て親孝行されましたね。
お父様のご冥福心からお祈り申し上げます。

ありがとうございます☆

2011.03.06.07:02

愛美様

心に染みいるメッセージを感謝です♪
いつかはこの日が来るとは思っていましたが、やはり想像以上に辛いものがありました。父が病院ですっかり衰弱している姿を見るのが辛かったですね。

でも、安らかな死を迎えることができたので、これで良しとしていいでしょう。親類友人のいない寂しい晩年でしたが、訪ねていくことで、少しは心の寂しさを埋めることができたかもしれないです。

>最期の写真胸にしみました。おとうさまと過ごされた時間は限られていたようですが温かさが伝わる素敵なお写真だと思いました。

写真公開はものすごく恥ずかしかったのですが、こんな小さな頃に戻りたくなってしまったりもします。もう戻れないけれど、思い出は大切にしたいですねv-354

JOHN BEATLE LENNON様、

確かにそうですね。訪ねていかなければ、父の最期をしることはできなかったし、人づてに聞くということもなかったと思います。

やはり会えて良かったという一言につきますね。

Toshinosuke様、

としちゃん、ありがとさんです・・・。父は危篤だったのに、私が会いに行ったら、ものすごくテンションが上がりました。病院に入院することで、精神的に相当弱ってしまったんでしょうね。在宅で最期を迎えられることが理想ですものね。

自宅に連れていくことができないけれど、連れていけたらどんなにいいかと悔みました。・・・でも、お世話になったヘルパーさん、お医者さん、看護師さん、みんなに本当に感謝ですよ♪

>・・・また毎日、1ミリずつでもいいので少しづつ立ち直って、いつもの<ジョン・デンバー>の記事を期待しています。


そうですね。1ミリでもいいから早く立ち直って元気な記事をアップできるようしたいものです♪トシちゃんもがんばらなあかんで~(関西弁!)

oyaji910様、

そうですね。親孝行する必要のない親でしたが、この世に生きていることを感謝してささやかな親孝行だったかもしれません。

ありがとうございますm(__)m

2011.03.08.12:58

お父様のご逝去、
心よりお悔やみ申し上げます。

いろいろな思いが巡ることもあるでしょうが、
最期にあなたとの時間が取れて
ほんとに良かったですね。
お父様、幸せな方やな。と思いました。
お辛いでしょうが、どうかご自愛下さいね。

今、いかなごを炊く香りがしてきました。
ああ、もうすぐ春ですね。

ご冥福をお祈り申し上げます。

2011.03.08.17:43

言葉の一つ一つにお父様への心遣いが感じられます。
幼くして別れたお父様の最期を、糸で紡ぎ直すように縁を整えられたマーヤさんのお心遣い・・・人の本当の愛の姿をみたように伝わってきました。
今はお父様のご冥福を祈りつつ、マーヤさんのこの先の人生を守っていただきたく縁無き私の立場ではありますが、お父様にお願い致したいと思っております。

ありがとうございます☆

2011.03.09.06:27

ジョン山本様、

そうですね。いろいろと考えていくときりがないのですが、「お父様、幸せな方やな。 」っていうメッセージそのものかもしれませんね。

最後の5年間が父にとって一番辛い5年間だったのでしょう。遠くてゆっくりと会うことができなかったけれど、何回かは会えたし、心の隙間を埋められたんだと思います。すべてを埋められなくても、それで良かったんだと、そう思いたいです・・・。


風光様、

暖かなメッセージが心に響きます。父の最期がどうなるのか、全く想像もつきませんでした。本来ならば自宅で息をひきとることができれば、理想的でした。

でも、病院の先生方、看護師さんの皆さん、最善を尽くしてくれたのだと、感謝しています。

きっと父もそう思っているのではないかと思います。

父との幼い頃の思い出をこれからも大切にしていきたいですね。



2011.03.10.17:27

遅くなりましたが、お父様のご冥福お祈りいたします。
そしてマーヤさんおつかれさまでした。
身近な死に接すると、もっとあんなことしてあげてたらなぁ~とか、
ちょっと悔やんだりすることがあります。
普段、生活の中からなるべく遠ざけようとしている死は
生まれると同時に誰をも待ち受ける終着駅なのでしょうか?
ラストの写真がとってもステキですね!
言葉を必要としない後ろ姿です。。
これからもお父様の良かったところだけ
すてきな思い出に加えることができたらいいですね!
どうぞ、これからもがんばってください。。

ありがとうございます☆

2011.03.11.06:38

おーちゃん、

おっしゃる通りですよね。もっとこうしときゃよかった、どうして気がつかなかったんだろうって今頃思っています。ずっと寝たきり生活が辛かったんだろうなぁって、もうちょっと何かできたんじゃないかなぁって、悔やんでいますね。

でも、いつかはこうなる日が来るわけでついに来てしまったんですね。

再会のささやかな時間を感謝しています。

>ラストの写真がとってもステキですね!
>言葉を必要としない後ろ姿です。。

父は背が高かったので、私と手をつなぐと身体がこんな風に曲がってしまうんだと話していとこがあります。正にそんなシーンですね。タイムマシーンがあると嬉しい時代ですね。

これからも元気をだして頑張っていきたいと思っていますv-485
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